万年山竜泉寺跡 【標柱】

まんねんやまりゅうせんじあと

 

万年山竜泉寺は、臨済宗京都妙心寺末の寺院で、元は都之城跡の北側の台地にありました。

今はその大半が公園となっており、西側の墓地の一部がわずかにその跡をとどめています。

由緒は、応永元年(1394)梶山城(三股町)で戦死した3代北郷久秀と弟忠通の菩提寺で霊照山薦福寺(せんぷくじ)と号しました。

後に天正7年(1597)に安永金石城(かねいしじょう)で自殺した10代時久嫡男相久(すけひさ)の菩提寺となって寺号も変わり(万年山常徳寺)、さらに15代久直のときに、父である本宗家島津家久の位牌寺として、寺号を万年山竜泉寺と改称しました。

この寺の仁王像二体は、正徳4年(1714)都城の家老北郷資昌が、はじめ兼喜(けんき)大明神へ寄進し、後に寺の門前に移しましたが、現在は、都城歴史資料館にあります。