鶏足山仁厳寺(二厳寺)跡 【説明板・標柱・石柱】

けいそくさんにごんじ にごんじあと

 

 

 

仁厳寺(二厳寺)は、都城島津家2代義久の次男秋江(しゅうこう)が、鎌倉の臨済宗円覚寺(えんかくじ) で修行し、応永22年(1415)に創建したとされる京都妙心寺末の寺院です。

当時、都城地方は打ち続く戦乱の渦中にありました。

このような時に中央の文化を移入した禅の影響は大きいものがありました。

当初、大淀川の平田橋西側の高台に建てられていましたが、後に現在地に移されています。

現在は、開山秋江和尚の卵塔、都城島津家12代忠能夫婦の墓、忠能の娘で16代の後室として都城を治めた春しゅん嶺れい良仲大姉や12代忠能に殉死した紀藤丹波・土屋七左衛門などの墓があります。