長城山龍峯寺跡 【陶板】

ちょうじょうざんりゅうほうじあと

 

 龍峯寺(りゅうほうじ) は8代北郷忠相(ほんごうただすけ)がその母のために創建した寺といわれ、忠相以降は都城島津家の菩提寺(ぼだいじ)となり、当地方最大の寺として偉容を誇りました。

慶応3年(1867)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)による廃寺となってからは、島津家及び家臣の墓地を残すのみとなりました。

都城島津家に関わる人々の墓は当盆地内に95基ありますが、そのうちの65基がここにあります。

墓石は時代とともにその形態を変化させていきます。

ここの墓石も忠相以降400年間の彫刻技術の変容とそれに伴う墓石形態の移り変わりを如実に示しています。

南九州に特有な凝灰岩質(ぎょうかいがんしつ)の石材が多用されており、長年の風雨によって表面が損傷しているものもありますが、重要な文化財であると評価できます。