都嶋御旧跡 【説明版】

みやこじまごきゅうせき

 

江戸末期に書かれた『麑藩(げいはん)名勝考』及び『庄内地理志』に、『古事記』にある神武天皇の居所、高千穂の宮の旧跡とされる場所です。

この「都嶋」より都城や宮丸の名は出ており、都島は「宮古島」、都城は「宮古城」で、太古の都と言い伝えられています。

ここは初代の神武天皇の宮廷であり、はじめ都城を都としてこの場所にお住まいになり、その後、御旧跡に塚を築き、それを「宮古島」と称したのではないか、といわれています。

なお、永和元年(1375)に、都城島津家2代である北郷義久がこの地に城を築き、都島の城という意味で、「都城」と呼んだといいます。

その後、この城の名である「都城」が地名となりました。