都城県庁跡【石碑】
みやこのじょうけんちょうあと
明治4年(1871)7月14日、廃藩置県があり、鹿児島藩はそのまま鹿児島県となりました。
しかし11月に都城県が置かれ、この地に県庁が設置されたのです。
都城県は明治6年1月には廃止されて宮崎県となります。
その後、県域の変遷を繰り返し、3年後の明治9年に鹿児島県、さらに明治16年「日向国」を宮崎県にして欲しい、という分県運動によって再び宮崎県が生まれ、現在に至っています。
明治4年(1871)7月14日、廃藩置県があり、鹿児島藩はそのまま鹿児島県となりました。
しかし11月に都城県が置かれ、この地に県庁が設置されたのです。
都城県は明治6年1月には廃止されて宮崎県となります。
その後、県域の変遷を繰り返し、3年後の明治9年に鹿児島県、さらに明治16年「日向国」を宮崎県にして欲しい、という分県運動によって再び宮崎県が生まれ、現在に至っています。