都城島津邸 

みやこのじょうしまずてい

 

 現在の都城島津邸は、江戸時代、下長飯の宗廟(そうびょう)早鈴大明神の跡地です。

ここは、近世の都城島津家領主館の東側に位置し、北に上町(旧本町)・中町(旧唐人町)・蔵原町があり、近世領主館に付随する町場と街路の地形を残す閑静な場所に位置しています。

本宅の東には御霊社、その北側に芳井崎荘(よしいざきそう)や納屋などがありました。

明治2年(1869)に島津久寛(ひさひろ)が版籍奉還(はんせきほうかん)を上奏し、同年三島通庸(みちつね)が都城の地頭として着任したため、都城島津家は鹿児島に移住しました。

しかし、明治12年(1879)に久寛は、鹿児島から帰郷し、現在地に邸宅を築いて入居しました。これが都城島津邸の始まりです。

その後、昭和10年(1935)に陸軍大演習が都城で行われるのに伴い改築と新築が施され、現在の本宅部分が完成。

昭和28年(1953)に当主久厚(ひさあつ)の母恭子(きょうこ) の帰宅に伴い、2階部分が増築され、翌29年に離れの一部と内蔵部分が完成しました。

さらに昭和48年(1973)に昭和天皇が全国植樹祭で宿泊するのに伴い、昭和47年11月から離れ部分の増改築が施され、現在の形となりました。