都之城(都城)址 【説明版・標柱】

みやこのじょう(みやこのじょう)あと

 

現在、城山公園となっている都之城(都城)は、永和元年(1375)、2代北郷義久によって築かれたといわれ、以後、代々北郷氏(都城島津氏)の居城でした。

元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり、北郷氏は今の市役所一帯に居館を構えました。

都之城は、大淀川に面した台地を要害として築城されましたが、その目的は、都城盆地の領内把握と水上交通の要衝であった大淀川の掌握にあったと考えられます。

築城当時は本丸・西之城・中之城・南之城・外城の5つの曲輪からなる、8haほどの連郭(れんかく)式山城でしたが、8代北郷忠相(ただすけ)の代に新城・池之上城・中尾城・小城を増築しました。

そして西に大手の中尾口、北に搦手(からめて)の弓場田口(ゆばたぐち)、西北に鷹尾口、南に大岩田口、東に来住口の計5口を設けて城郭を整備しました。

伊集院忠棟(ただむね)の居城時代にも拡張され、取添が整備されました。