桜馬場【説明板】

さくらばば

 

桜馬場は、領主館のすぐ北、現在の明道小学校の北側の通りを東西に走っていました。この通りに領主館の裏御門があったといいます。

桜馬場を西に行くと、八幡町の名称の由来となった湯田八幡宮(ゆたはちまんぐう)がありました。

湯田八幡宮は、慶長5年(1600)、北郷忠能(ほんごうただよし)が祁答院(けどういん)から都城に復帰する際に、同地にあった湯田八幡宮を分霊してこの地に祀ったものです。

北郷氏は10代時久のときに、祁答院に移封されていましたが、本領都城への復帰を祈願したのが祁答院の湯田八幡でした。