六烈士殉難慰霊碑 【石碑】

ろくれつしじゅんなんいれいひ

 

 治安が悪化していた京都伏見において、慶応3年1867)12月21日、斥候(せっこう)(敵の状況を探る役割)を担っていた都城隊士6人が、新選組に発砲されるという事件がおきました。

彼らは急いで本隊に帰り状況を報告したのですが、藩兵の間では逃げ帰ったのではないかという非難が出ました。

そのため彼らは責任をとって東寺薬師堂(とうじやくしどう)で自刃したのです。

京都市九条狐塚墓地(くじょうきつねづかぼち)にある彼らの墓石に、最年少だった大峰壮之助の辞世の句「武士(もののふ)の義の一筋に思い立ち、命は露も思はざりけり」が記されています。

この1週間後、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の開戦となり戊辰戦争へと突入、都城隊は日頃の軍事調練の成果を発揮し活躍しました。