真宗門徒若松与兵衛殉教地【標柱】

しんしゅうもんと わかまつよひょうえ じゅんきょうち

 

 

江戸時代、鹿児島藩(薩摩藩)では、一向宗(土真宗)を信仰することは禁止されていました。

しかし、密かに信仰する人々は多くいたようで、「かくれ念仏」と呼ばれています。そのかくれて信仰した場所として「かくれ念仏洞」という洞穴が都城市内に点在しています。

ここは、若松与兵衛が一向宗の信仰が露見して、殉教した場所といわれています。