新町跡 【説明板】

しんまちあと

 

 現在の西町は、江戸時代には新町と呼ばれていたところで、三重町と後町が新たに移ったときに、両町を合わせた町の名称です。

ただ、近世でも三重町・後町の呼称は残り、新町の東半分が三重町、西半分が後町と呼ばれていました。

三重町は天正14年(1586)北郷忠虎(ただとら)が豊後(大分県)へ出兵したときに、同国の三重郷の人700人を捕えて連れて帰り、町を立てたことに始まると伝えられます。

市(いち)はこの頃から始められ、三重町は「10」の日の3日間、すなわち1日・10日・20日に市が行われました。

後町は、はじめ安永(庄内町)に置かれ、本町の後ろに置かれたといいます。

その後、中尾口に移り、本町の南側に置かれましたが、北郷忠能の代に三重町の並び、元服坂(五十町)の通りに移されたといいます。

そして、三重町と同じく元禄5年(1692)に、現在の地(西町)に移転しました。

天正期にはすでに市が立っており、市日は「4」の日、で、4日・14日・24日でした。